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2001-06-14
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■レースプレビュー
海外レースの写真を見て思うことがある。見た瞬間何かが違うと感じるのだ。クルマが違うとか、撮ったフォトグラファーの腕とかは別にして、その写真の質感の違いに驚かされることが多い。決してレース自体が、国内のレースと違うとは思わないのだが…。
昨年、日本のレースとして初めてJGTCが海外で開催された。日本で激しい闘いを繰り広げてきたJGTCマシンが初めて海外のサーキットを走った。そこに行く前から、ある種の期待は持っていた。未知のコースを、JGTCマシンとドライバー、そしてチーム・スタッフがどうやって闘うのか…。
だが、サーキットに走り出していくマシンを見た瞬間、そんなことはどうでもよくなってしまった。語弊があるかもしれないが、いつもよりカッコイイのである。日本のコースより白い路面にくっきりとブラックマークを刻み、抜けるようなエキゾーストが耳を突く。何が違うのだろう。コースサイドにいるだけで肌が、目が痛くなるようなキツイ日差し。滴る汗すら乾かす熱い風。その中をJGTCマシンが駆け抜けていく。これが、写真に写っているのか。だから、海外レースの写真はカッコイイのだ。空気が、光が違うのだ。その中をJGTCマシンやドライバーが疾る。いつも熱いけど、この日のJGTCはもっと熱く感じられた。
そして、決勝レース。スタンドはまさにラテンの世界だった。マシンがコースインだけで歓声が挙がり、選手が手を振るだけで拍手がわき起こる。スタンドすべての観客が立ち上がって迎えたスタート。その歓声だけでサイド・バイ・サイドのバトルがどこで起こっているのか分かる。終盤、トップに激しく迫るチェイサー。その闘いに熱狂する観客たち。そして、勝利者がマシンを降り、拳を突き上げたとき、興奮は頂点に達する。
レースって熱いもんだよね。日が陰り、サーキットが夕日に包まれたとき。静かなスタンドに向かってつぶやいてみる。
日本のサーキットでもその昔。きっと、こんな熱い日があったと思う。まだモータリゼーションが発展途上の国だからではない。日本のレースが忘れかけている何かが、セパンにはあったのだと…。
敵はライバルだけではない。暑さを克服できるかが鍵だ
2001年6月23、24日、マレーシアのセパン・インターナショナル・サーキットで2回目のJGTC海外イベント「2001 JAPAN GT RACE Malaysian Round」が開催される。
F1世界選手権も開催される国際サーキットであるセパンを、日本のビッグレースであるJGTCから選ばれたマシンとドライバーに、現地招待チームを加えた30チームが走る。セパン・サーキットは5.543kmと比較的長いコースに、2本のストレートに加え、低速から高速コーナーまで多彩にちりばめられている。特にコーナーは出口がキツイという技術を要するものが多く、ドライバーにとっては攻略しがいがあるコースだ。昨年1度経験したドライバーやチームが多いとはいえ、短時間でどこまでマシンをセットし、タイヤを選択するか、チームの総合能力が問われるところだ。
また、セパンの強敵はライバルだけでなく、その暑さ。もちろん、タイヤにはかなりの負担が強いられることになり、いかに優しいドライビングをして速く走るかが大切になる。特に無理なパッシングやブレーキロックをすれば、簡単にタイヤにダメージを与えてしまう。
そして、ドライバー、マシンの熱対策も欠かせない。特に走行中は60度近くなるといわれるコクピットで1時間近いドライビングを強いられるドライバーには、クールスーツ(冷却機能付きのウエア)や走行中に飲めるドリンクが欠かせない。昨年のレースでもマシンのクールスーツが壊れ、熱気によりドライビングに集中できなくなったために、トップを快走しながら最後に逆転されるという波乱が起こっている。マシンも少しでも冷却性能が落ちれば、その暑さゆえすぐにオーバーヒートやオイル系のトラブルが待ち受けることになる。国内のレースなら何とかごまかせるトラブルも、命取りになりかねない厳しさがある。
このような難コース、厳しい条件をJGTCドライバーたちがいかに克服して勝利を得るかが注目される。
クルムの連覇か、スープラの脇阪は連続ポールを獲れるか!?
昨年は、片山右京/ミハエル・クルム組のスカイラインGT-Rが、予選9位からしぶとい走りとNISMOの抜群のピットワークで2位に挙がり、終盤にポールポジションからトップを独走していたTAKATA童夢NSXを捉えて逆転優勝を果たしている。
このセパンGTは、シリーズ戦のウエイトハンディは適用されない。したがって各マシン本来の底力が発揮される。となれば、注目されるのはやはりNSXだろう。昨年、目前で逃した勝利の奪還を狙ってフルチャージを掛けてきそうだ。その中心になるのは、やはりチャンピオンゼッケンを背負う道上龍/光貞秀俊組のロックタイト無限NSXだろう。そして現在未勝利ながらランキングトップと好調なARTA NSXの土屋圭市/金石勝智組も楽しみな存在。特に金石は昨年最後に逆転された雪辱を果たしたいところだろう。
そして、昨年はNSXでポールを獲得した脇阪寿一が、今年から駆るスープラで連続ポールを獲り、コンビを組む野田英樹とともに勝利を手にすることができるか。さらには昨年の覇者ミハエル・クルムが連覇を果たせるか。もうひとりの勝利者片山右京は、今季はスープラで挑む。ペア・ドライバーの近藤真彦とともにセパンのファンの前でシャンパンのシャワーを浴びることが出来るのか。楽しみが多いところだ。
シルビア vs. MR-Sの一騎打ち!? ポルシェやインプレッサも侮れない…
GT300クラスだが、残念ながら昨年の勝者RE雨宮マツモトキヨシRX7は欠場。しかし、この優勝マシンを地元のチームが入手して、このセパンGTに挑戦するという。このチャレンジには、心から声援を送りたい。
さて、優勝争いはというと。このところ好調のシルビアが注目だ。ヤングコンビのユニシアジェックスシルビア(井出有治/柳田真孝組)が初めてのセパンで本来の速さを出し切れれば、優勝候補の筆頭だろう。これに対するは、いよいよ実力が発揮されつつあるARTA・アペックスMR-S(新田守男/高木真一組)だ。2度目のセパンという有利さもあり、このシルビア、MR-Sが本命対抗となりそうだ。
さらには、2000年GT300チャンピオンの福山英朗の駆るシェルタイサンアドバンGT3R(福山/余郷敦組)らのポルシェ勢に、クスコスバルインプレッサ(小林且雄/谷川達也組)も注目の存在だ。
また、今季GT300に新しい風を送り込んでいるモスラー、MT900R(D.マラガムワ/J.バルボーザ組)も楽しみな1台といえる。バルボーザは、米GRAND-AMシリーズでモスラーを駆り、今年のデイトナ24時間レースでポールポジションを獲得するなど活躍中のドライバー。このセパンでのMT900Rの走りは注目だ。
今年は参加台数も増え、きっと観客も昨年以上となるだろう。日本の熱いレースJGTCが、南国の日差しの中、さらにヒートアップするのは間違いない。
Reported by Team GT InsideReport
メモリアル・ウィナー、ミハエル・クルムがセパンGTを語る
2000 MALAYSIAN ROUND WINNER MICHAEL KRUMM (No.22 Xanavi HIROTO GT-R)
「レースはおもしろかったかって? ううん、そんなことない、暑かった(笑)」
昨年初めて開催されたこのレースに片山右京とともにカストロール・ニスモGT-Rで参加。記念すべき優勝を飾ったミハエル・クルム(No.22 ザナヴィヒロトGT-R)はそう言って笑った。
「いちばんおもしろかったのはサーキット。レイアウトとか」 そうクルムが話すように、舞台のセパン・インターナショナル・サーキットは1999年にオープンした世界有数のレーシングコース。F1マレーシアGPも開催されている。そして、ドイツ人ドライバー、クルムの目に日本のレースとは少し違って映ったのが3万人以上も集まり、グランドスタンドを満杯にしたファンの盛り上がり方だった。
「お客さんはイタリア人みたいな雰囲気をつくっていた。クルマの中でも声援が聞こえて、すごくいい気分だったよ」
そんな熱い声援に応えるかのように、クルムは熱い走りを見せた。右京からステアリングを引き継ぎ、2位に上がるとトップのTAKATA童夢NSXとの差をぐんぐん詰めて行く。「NSXのドライバーのカラダ、ボロボロ」 それに気付いて猛然とペースを上げたのだ。終盤ついにトップに立ったクルムはペースを緩めることなく快走、マレーシアの地でJGTC久々の勝利を飾ったのだった。
「それまで勝てなくて、ずっと2位が続いていたから、初優勝みたいだった。やっとあそこで優勝できた」
しかしクルムにはひとつ不満がある。「ポイントが欲しい。選手権ポイントがかかっていた方がいい」 だが次のように続けた。
「でもいいところ。サーキットもいいし、お客さんも素晴らしい。マレーシアという国はずっと夏で、蒸し暑くてたいへんだけど、皆すごくいい人。優しい。それに明るい。ウエルカムという感じだった。また行きたい」 笑顔の中に一瞬、ミハエルは2連覇を狙うレーシングドライバーの表情を見せた。
Reported by T.T.
ミハエル・クルム(Michael krumm)/1970年3月19日生まれ、ドイツ出身。89、90年にドイツのマイナーフォーミュラでチャンピオンとなり、以後ドイツ、イタリアでF3に参戦。1994年に全日本F3でチャンピオンとなり、以後日本、ドイツを始め各国のフォーミュラやツーリングカーで活躍する。JGTCには1997年にペドロ・デ・ラ・ロサとカストロール・トムス・スープラでチャンピオンとなる。2000年は片山右京とNISMOのカストロール・ニスモGT-Rで参戦し、初開催のJAPAN GT FESTIVAL in MALAYSIAで優勝した。
(初出:GT選手権新聞 2001 Rd.3&SEPANG号)
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