2024シーズンの最終戦となった第5戦「SUZUKA GT 300km RACE GRAND FINAL」でSUPER GTでの活動を終了したロニー・クインタレッリ選手(No.23 MOTUL AUTECH Z)。
ロニー・クインタレッリ選手は、2005年の開幕戦岡山でGT500クラスにデビューしてから、2024年最終戦鈴鹿までで、通算149戦(シリーズのみ)参戦し、タイトル獲得は両クラス最多の4度(2011、2012、2013、2014年)、18勝(歴代3位)、ポールポジション15回(歴代2位)という記録を残した。
◎デビューレース
2002年に初来日して、当時スタートした富士グランチャンピオンレース(GC-21)にスポット参戦。翌年からTOYOTA系チームで全日本F3選手権にフル参戦。2004年にはF3チャンピオンを獲得した。
SUPER GTには2005年から参戦。GT500クラスのNo.39 デンソー サード スープラGT(TOYOTA TEAM SARD)でフル参戦。パートナーを務めたのはアンドレ・クートだった。また、2006年は第6戦鈴鹿1000kmにNo.1 ZENT セルモ SCの(TOYOTA TEAM CERUMO)第3ドライバーとしてスポット参戦。2007年はNo.35 BANDAI DUNLOP SC430(TOYOTA TEAM KRAFT)で第4戦セパンから第6戦鈴鹿1000kmまでスポット参戦した。
◎NISSAN系へ移籍
2008年シーズンにNISSAN系のHASEMI MOTOR SPORTに移籍。No.3 YellowHat YMS TOMICA GT-Rのフォーストドライバーを務める(パートナーは横溝直輝)。そして、第7戦もてぎで初優勝を見事なポール・トゥ・ウインで飾った。
そして2009年にもNo.3 HASEMI TOMICA EBBRO GT-R(R.クインタレッリ/安田 裕信)で1勝(第4戦セパン)を挙げ、翌2010年はTEAM IMPULに移籍し、No.12 カルソニック IMPUL GT-R(松田次生/R.クインタレッリ)で1勝(第4戦セパン)を追加した。
◎GT500チャンピオンを初戴冠
2011年にMOLAに移籍し、No.46 S Road MOLA GT-Rで柳田真孝と組んで参戦。第4戦SUGOに1勝を挙げ、第2戦富士、第5戦鈴鹿1000km、第7戦オートポリス、第8戦もてぎと2位を4回など、8戦全戦でポイントを挙げて、GT500の初タイトルを獲得した。
◎連続GT500チャンピオンの獲得
チャンピオンゼッケン“1”を背負った20212年のMOLAのNo.1 S Road REITO MOLA GT-Rを引き続きドライブしたクインタレッリと柳田真孝。序盤の3戦こそ苦戦したが、第4戦SUGOで3位を獲得すると、続く第5戦鈴鹿1000kmでポール・トゥ・ウイン。そして第6戦富士で2位になると、雨の第7戦オートポリスは予選10位から、徐々に乾いていく決勝レースで猛追撃。最終ラップに逆転して優勝し、2年連続のタイトルを獲得。最終戦もてぎも、しっかりと2位で締め、強さを見せつける形となった。
◎NISMOでも連続GT500チャンピオンを手にする
2013年はロニー・クインタレッリと柳田真孝が揃ってMISMOに移籍。No.23 MOTUL AUTECH GT-Rを走らせ、最高位は第5戦鈴鹿1000kmの2位。
続く2014年はパートナーに松田次生を迎えてのシーズンとなり、第3戦オートポリスでポール・トゥ・ウイン。最終戦もてぎで2度目のポール・トゥ・ウインを決めて、見事な逆転劇で、クインタレッリにとって3回目のタイトルを掴み取った。
さらに翌2015年はNo.1 MOTUL AUTECH GT-Rを松田と共にドライブして、第2戦富士と第7戦オートポリスと2勝を挙げる。最終戦もてぎを2位表彰台で2度目の連覇を達成した。
そして、2023年の開幕戦岡山においてNo.23 MOTUL AUTECH Z(松田次生/ロニー・クインタレッリ)により、SUPER GTでの最後の勝利をポール・トゥ・ウインで飾った。
4/12-13 | Round1 OKAYAMA | |
5/03-04 | Round2 FUJI | |
6/27-28 | Round3 SEPANG | |
8/02-03 | Round4 FUJI | |
8/23-24 | Round5 SUZUKA | |
9/20-21 | Round6 SUGO | |
10/18-19 | Round7 AUTOPOLIS | |
11/01-02 | Round8 MOTEGI |