2002 JGTC INSIDE REPORT NETWORK EDITION
Round6 MOTEGI GT CHAMPION RACE
スペシャルレポート1
15 Sep. 02
Special Report 1

『特集1:星野一義、現役を引退』


 すでに報じられているとおり、星野一義は8月28日にレーシングドライバーから引退した。JGTC第6戦もてぎでもセレモニーが行われたが、ここで改めて、星野からファンに向けてのコメントを戴いた。また、星野と苦楽を共にした関係者からも話を聞いた。


星野一義(ファンに向けてのコメント)
「今までの長いレース生活に対してずっと応援して下さってありがとうございました。
 フォーミュラ・ニッポンを辞めたときも同じでしたが、監督になると、サーキットに来るときなにか血の騒ぎ方のトーンが低いなという感じはしますが、これから自然に慣れていくと思います。
 とにかくまず今年の残り3戦、とうぜんチームとしては上位に入るようにがんばっていかないとダメだし、ベストをつくします」

田中哲也(No.12 カルソニックスカイライン)
「かなりの決意を持って決められたことだと思うので、今後はブノワ(・トレルイエ)と協力して残りのレースで優勝できるようにがんばりたいです。星野さんは監督として来られていてもチームメイトとして来られていても、側にいらっしゃるだけで『がんばろう』という気持ちにさせられますし、辞められたことで今まで以上にちゃんとしたいという気持ちも強くなりました。
 今年の星野さんはいつもボクに気を遣ってくれているのかなと思っていて、腰の不安とかはわかりませんでした。ボクも野球をやっていて腰や肩を傷めたり、F3で両足を折ったりしていますし、ヘルニアでなくてもレーシングドライバーならほとんど大なり小なり腰痛もあるんですが、それは他人には言わないですし、星野さんもそんな素振りは見せませんでした。ボクのなかでは、辞められるなら今年勝ってからと思っていたんですが、それを果たせなかったことが悔しい。優勝して辞めるっていうのが最高じゃないですか。でも、とりあえずケガなくレースを終えられることができたのはよかったと思いますし、今後はボクらががんばって走るので、星野さんには監督としてチームをより強くしていっていただきたいと思います。きっと、星野さんはゆっくりノンビリできるタイプではないと思いますしね(笑)」

本山 哲(No.22 ザナヴィ ニスモGT-R)
「まずは『お疲れ様でした』ですね。あれだけ長く勝利に近いところで走ってこられて、つねにプレッシャーを受けてこられたと思いますし、あの年齢まで走っていらっしゃったので、ボクとしては実際今年が最後なんじゃないかということは感じていました。
 腰がツライというのはすごく大きな問題だったと思います。でもボクがそのことを知ったのは12月に入って星野さんが入院されてからで、シーズン中はわかりませんでした。ただ、メカニックの人たちは『星野さんがときどき大きな声で叫んでいた』というようなことは言っていましたね。だけど、それが腰の痛みのせいなのかなんなのかはわからなかったんです。
 一昨年、昨年とコンビを組ませていただきましたが、ナンバー2いう立場は星野さんに似合わないですし、本来はそういうことはしてもらいたくなかったですね。そういうなかでボクがナンバー1を務めるのはちょっとツライ部分もありました。だから、今年が最後になるのであれば、星野さんにナンバー1ドライバーとしてがんばってもらいたいと思っていました。ボクがニスモに移った要因のひとつとして、それは結構大きかったんです。
 ボクのキャリアのなかで、日産に入って星野さんが認めて下さったのはすごく大きいことでした。JGTCで組めたことだけでなくJTCC時代に同じ態勢で参加できたのはすごくいい経験になっていると思います。ある意味父親みたいなところもありますし、それとは別なところでレーシングドライバーとしての大先輩ですし、星野さんからはすべての部分でいろいろと教わってきました。今まで出会った人のなかで大事なことを一番多く教わった人ですね」

柿元邦彦 NISMO取締役技術部長
「ボクは、星野さんには華々しくドライバー人生を終えてもらいたいと思っていましたし、自分がそういうことをしてあげる立場なのに、それがちゃんとできなかったということは少し悔やまれますね。星野さんは今年もセカンドドライバーに徹しているような感じでしたが、タイムアタックもやって、マシンに対してもワガママの限りをつくしてなんとか勝とうとする姿を最後までみんなに見せてほしかったんです。
 今振り返ると、思い出はたくさんありますね。ボクが星野さんと初めて会ったのは、まだ(日産在籍中)ラリーの担当だったころ。84年にニスモに来るより前です。そのころは長谷見さんと星野さんがラリー車のテストをしていて、二本松のラフロードで隣に乗せられてカッ飛んだりしていました。その後もたくさん思い出はあるんですが、そのなかでボクのモータースポーツ人生にも一番大きな影響を与えたのは、85年のWECで勝ったことです。この勝利で日産がル・マンにチャレンジすることになりましたし、ボクも監督として行くことになったんですよ。それ以外では、星野さんと長谷見さんのよきライバルの戦いのまっただなかに自分がいたんだなと思います。あのふたりが競い合ってやってきたのはよく憶えていますね。ふたりともお互いがいたからこそレース界でああいう活躍ができたと思います。ボクとしては当時は結構ツラかったんですけど、それも今はいい思い出ですね。
 マッカーサーは『老兵は死なず、ただ消えゆくのみ』と言いましたが、ボクはそうじゃないと思います。星野さんはこれからもチーム監督をされますし、いつまでも輝いていてほしい。今までのドライバーとしての経験を生かしていってほしいと思います。まだまだこれからやることはたくさんありますし、だからボクとしては『お疲れさま』とは言いたくないですね」



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