News

News
2021.01.14
【2020 シーズンプレイバック 第3回】GT300クラス総集編その3「2020年チャンピオン“No.56 リアライズ 日産自動車大学校 GT-R”の軌跡」

【2020 シーズンプレイバック 第3回】GT300クラス総集編その3「2020年チャンピオン“No.56 リアライズ 日産自動車大学校 GT-R”の軌跡」の画像

“前にいるものは、追い上げて抜けばいい”
ふたりのパッシングが奏でたレースの真髄

 

2020 AUTOBACS SUPER GTは、7月から5ヶ月で8戦の過密日程で行われた。だが、参戦の各チームは熱戦を繰り広げ、これまで以上に記憶に残る多くのシーンがあった。
2020シーズンを6回に渡って振り返る「2020 シーズンプレイバック」。第3回はGT300クラスを制したNo.56 リアライズ 日産自動車大学校 GT-R、藤波清斗/ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラの1年の歩みをレポートする。

 

 

■“新興チーム”が迎えた2年目シーズン

 「予選は負けましたが、決勝は問題ない。自信はあります」。最終戦の決勝を前に、ポイントリーダーながら予選7位とGT300クラスのタイトル候補7台の一番下位になってしまったNo.56 リアライズ 日産自動車大学校 GT-Rの藤波清人は、そうSUPER GTプラスの取材に言い切った。カメラが止まったと思ったのか、「そう(自分に)言い聞かせないとやってらんないっす!」と、ついホンネを漏らす。

 

   

 

 藤波は2018、19年とNISSAN GT-R NISMO GT3で、スーパー耐久を連覇している。SUPER GTでも2019年に1勝を挙げて、2020年のKONDO RACINGのGT300チームに抜擢された25歳。そう書くと歴戦のGT-Rドライバーかと思えるが、SUPER GTのレギュラードライバーの経験は2017年のTEAM MACHでの1年のみ。2019年はJLOCのNo.87 T-DASH ランボルギーニ GT3の第3ドライバーとして第2戦と第5戦にスポット参戦。第5戦では決勝を2スティント走行し、チームの巧みな作戦もあって優勝を得た。少年時代にレーシングカートで頭角を現し、2012,13年には日産のスカラシップを得てフォーミュラチャレンジ・ジャパン(略称はFCJ。現在のFIA-F4選手権に相当するカテゴリー)に参戦。ポールポジション4回ながら未勝利と結果を残せず。そこからカートの師でもある安田裕信(No.11 GAINER TANAX GT-R)やスーパー耐久の先輩・星野一樹(No.10 TANAX ITOCHU ENEX with IMPUL GT-R)の高評価もあって、2020年のNISSANのカスタマーチームである56号車のシートを掴んだ。

 

 「凄くやりがいがあるシーズンになりますし、開幕戦が本当に待ち遠しいです。2019年の56号車は優勝できていないので、まずはこのチームに1勝目をプレゼントしたいなと思っています」と7月の公式テスト富士で藤波は語る。
 GT500クラスでは何度も優勝しているKONDO RACINGだが、GT300クラスでは2019年参戦開始の“新興チーム”だ。チーフエンジニアを務める米林慎一氏は「2019年はマシンのセットアップは極力変えず、タイヤを中心に基本データを得ました。(タイトルを争ったとはいえ)ドライバーたちには本当に負担を掛けたと思います」と、2020年はGT500にステップアップした平峰一貴(No.12 カルソニック IMPUL GT-R)とサッシャ・フェネストラズ(No.36 au TOM'S GR Supra)たちを評価し、2019年のチームの実情を明かしている。

 

   

 

 

■チームの勝ち方が定まった第5戦富士の初優勝

 2020年はドライバーを一新した56号車。藤波と組むのは、ベテランで“JP(ジェイピー)”の愛称で親しまれるジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ。GT500クラスの13年間で9勝を誇るブラジリアンは、2019年はGT300クラスのNo.7 D'station Vantage GT3を駆ったが、SUPER GTで初めてのノーポイントと厳しいシーズンを過ごした。「2020年当初は日本でレースをできないかと思っていました。でも近藤真彦監督から『(GT300クラスの)チャンピオンを獲るために君の力を貸してくれ』と言われて…」。そうしてデ・オリベイラは、2008年に共に戦い初勝利を挙げた古巣、KONDO RACINGに戻ってきた。

 

   

 

 チーム、ドライバーとしては手探りで始まった2020年。それでも開幕戦富士は予選9位から追い上げて表彰台に迫る4位を得る。同じ富士で行われた第2戦も決勝5位。予選3位となった第3戦鈴鹿では、終盤まで2番手を走りながら他車に追突されたこともあり結局9位に留まる。第4戦もてぎでは雨が降ったり止んだりのQ1でタイヤ選択に悩み、結局レインタイヤを履いたがこれは失敗してQ2に進めず。2度のセーフティカー導入で荒れた決勝もそのタイミングが悪くピットストップ2回の作戦を採る。クルマ自体は好調でデ・オリベイラの激走もあって6番手でゴールするも、ピットでの作業違反からタイム加算のペナルティで結局20位に。シーズン4戦目にしてのノーポイントとなったが、レース前半で藤波がきっちりポジションを上げ、クラスではピカイチの速さを持つデ・オリベイラが後半を激走というパターンが定着してきた。

 

 そして、観客を招いて開催された第5戦富士。KONDO RACINGのピットにも全国の日産販売会社から選抜されたテクニカルスタッフと日産自動車大学校の学生らがチームに加わり、意気が上がった。「このラウンドで方向性を変えたセットアップが非常に良かった」と藤波が言うとおり、56号車は好調だった。公式練習はクラス2位を記録し、予選Q1は藤波が2番手で通過、Q2でも思ったより低い路面温度に苦しむもデ・オリベイラが6位で決勝に臨んだ。そして、決勝ではまず藤波が好走を見せる。スタート早々のアクシデントでセーフティカーが導入される。「タイヤが十分に温まったところでプッシュしました」という藤波はリスタート後に続々とパッシングを披露して、15周目にはついにトップへ。富士ではタイヤ無交換や2本交換の作戦を採るチームもあって、タイヤ4本をきっちり替える56号車は一時5番手に下がる。トップとの差は10秒以上あったが、デ・オリベイラが毎周1秒、2秒と削っていく。そして47周目、2コーナーで56号車は再びトップに浮上。このまま走りきって、GT300参戦2年目にしてチーム初優勝を掴み取った。
 普段は物静かなブラジリアンのデ・オリベイラだが、GT300に移ってもアグレッシブでスリリングな走りは健在だ。「JPは、いいときもそうじゃないときも、やっぱり“JP”っていうのがありますね(笑)」と、レース後に近藤監督。「クルマもタイヤもすべてが合わさった状況では、彼の速さ、強さがしっかりと出ます。今日のレースはそれがはっきりと証明できた」と“チームの勝ち方”を見抜いていた。

 

   

 

   

 

 

■第7戦もてぎの勝利はチームの総合力で勝ち獲る

 優勝すればウェイトハンディが重くなるのがSUPER GTで、56号車も第6戦鈴鹿では100kgのウェイトを積むことに。もちろん、チームもそれに合ったセットアップで臨み、予選は11位とまずまず。決勝では6位以内を目標に走り、序盤で藤波が20周で5番手まで上がってくる。しかし、予定のピットイン目前にセーフティカーが入って作戦は崩壊。「クルマの状態がとても良かったので残念な結果になった」と、この時の米林エンジニア。だが、最終戦後の彼は「第6戦がノーポイントだったから、(ウェイトハンディが減った)第7戦で優勝できた。(シーズンの)ターニングポイントでしたね」と言うのだから、レースは分からないものだ。

 

   

 

 そして第7戦もてぎはウェイトハンディの係数がポイントの3倍から1.5倍となり、ランキング4位の56号車は54kgで臨む。「セットアップはもう一つで、流れとしては必ずしも順調ではなかった」という藤波だが、それでもQ1を6番手で通過。決勝は7番グリッドからスタート。ここでも藤波が着実に4番手まで上がって「これ以上(ピットインを)引っ張っても意味ないと思う」と報告。チームもこれで早々のピットインを決断する。そして「交代してピットアウトしたら、すぐにセーフティカーが入った。これで(リスタートまでに)タイヤも温められたのはラッキーだったね」とデ・オリベイラ。リスタート後はわずか2周だが先にピットインしたトップのNo.4 グッドスマイル 初音ミク AMGを追い上げる。現在のミスターGT300とも言えるクラス王者3回の谷口信輝と90度コーナーからメインストレートを抜けて第2コーナーまでサイド・バイ・サイドを繰り広げる好バトルの末にパスしたデ・オリベイラは、終盤にも背後に迫る谷口を振り切ってシーズン2度目のトップチェッカーを受けた。

 

 レース後に近藤監督は「JPのことは、さほど心配していませんでした。『(谷口と)当たるな、落ち着け。当たるな、落ち着け。それからタイヤセーブ!』と無線で繰り返し伝えていました。でも僕らは付き合いが長いこともあって、彼の声からすごく冷静であることがわかりましたよ」と語った。

 

   

 

 

■最終戦富士も見事な追い上げ劇でタイトルを決定

 No.56 リアライズ 日産自動車大学校 GT-Rはランキングトップで最終戦富士を迎える。懸念があるとすれば、11月末という今までのシリーズではない寒い時期のレースになること。また、ライバルにはタイヤ無交換作戦を得意とするチームもあり、やはりレースの組み立てが鍵といえよう。決勝に強い56号車だけに、予選7位も“想定の範囲”であった。

 

 優勝しなければタイトルのないライバルはレース序盤から激走を見せる。一方、藤波も2周目にパッシングで接触するもののそれ以外は安定した走りで、いつものようにポジションを上げていく。20周を終えて4番手として、タイトルを争うライバルにプレッシャーを掛ける。そしてトップを行くNo.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GTとランキング2位のNo.65 LEON PYRAMID AMGが予想通りタイヤ無交換作戦に出て、ピットイン後は56号車に先行する。「彼らは無交換で前に行くだろう。だが、恐れることはない。自分たちのレースをすれば勝てる」とピットで出番を待つデ・オリベイラ。作戦通りタイヤ4本を替えた56号車は実質4番手でコースに戻る。このまま65号車が2位でゴールするとタイトルは彼らのもの。56号車はあと1つ順位を上げる必要があるが、ピットアウト直後の56号車のペースは良くない上に、3番手No.6 ADVICS muta MC86と56号車の差は16秒近くあり、万事休すかと思われた。

 

   

 

 「今回のレースは路気温が低く、どうなることかとも思った。でも決勝を考えたタイヤを選び、ビルドする(本来の性能を発揮できるよう温め整える)ことで自信はあった」とデ・オリベイラ。過去に11月後半に富士スプリントカップが開催されていた。デ・オリベイラはそこでGT500クラスの表彰台に上がっている。きっちりタイヤをつくれば速く走れるという経験を持っていたのだ。残り20周を切ると6号車との差は11秒。タイヤは共に4本を替えておりイーブン。だが、周を兼ねるごとに差が詰まっていく。そして残り9周で、6号車のテールにデ・オリベイラは食らい付くと第13コーナーでパス。これでタイトルは確定的となるが、彼はアクセルを緩めない。タイヤ無交換でペースの上がらない65号車もパスする。「4番手(No.6 ADVICS muta MC86)を抜く時もタイトルのことは気にしておらず、ピットからも何も言われませんでした。いつものように“自分のベストを尽くすだけ”でした。65号車(2番手でタイトルを争うLEON PYRAMID AMG)を抜いたときもリスクはなく、それを実行しただけ。でもライバルの65号車を抜いたことで真の“チャンピオン”に成れたと思います。2番手になり、ラスト4周では『テイク・イット・イージー(楽に行けよ)』と言われましたね。そして、ゴールしたら『おめでとう!』って…」。そのまま2位でゴールしたデ・オリベイラはドイツと日本のF3をはじめフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)の王者も得ていながら、逃し続けていたSUPER GTのタイトルをようやく掴んだ瞬間だった。

 

 そして藤波にとっても初のビッグタイトルを得た。SUPER GTの黄金世代という1993〜95年組の中で、数年前までアマチュアのレースに出ていた彼が、速さと安定感を兼ね備えてプロとして輝いた1年となった。「この結果は僕だけの力ではありません。特にJPさんにはいろんなことを勉強させてもらいました。シーズン前のテストで見せてもらった走行データには驚かされたし、レースでもいつも冷静ですし。また近藤監督には的確なアドバイスをもらってきました。ここまで安田選手や星野選手など多くの人にお世話になってきましたが、チャンピオンを獲って恩返しできたと思うと本当に嬉しいです」と藤波。2020年を沸かせたNo.56 リアライズ 日産自動車大学校 GT-Rの走りは、大団円で終了となった。2021年のことはまだ分からないが、KONDO RACINGに藤波清斗とジョアオ・パオロ・デ・オリベイラが、今後も目を離せない存在であることは間違いない。

 

   

 

 

 

 

 

 

※次回は「GT500クラス総集編:NISSAN GT-R NISMO GT500の2020年」をお送りします。

 

Page Top