News

Race Report
2024.12.08
第5戦 鈴鹿サーキット:シリーズ・チャンピオン会見

第5戦 鈴鹿サーキット:シリーズ・チャンピオン会見の画像

GT500 Class

 

No.36 au TOM'S GR Supra
坪井翔/山下健太/伊藤大輔 監督

 

※ドライバー回答は質疑応答の順としています。

 

 

 

 

──チャンピオン獲得の感想を聞かせてください。

 

伊藤:『2連覇を』という目標に向かってスタートしたシーズンだったので、それを実現できたというところで、喜びというかホッとしているほうが正直なところです。36号車(au TOM’S GR Supra)のテーマとしては、毎戦毎戦戦う上で、とにかくきちんとひとりひとりがミスなくやることによって確実にポイントを重ねるというところで、開幕(第1戦岡山)から優勝できて“開幕ダッシュ”できたことは良かったんですけども、やはりそれ以降がサクセスウェイトの関係で、特にドライバーは非常にストレスを感じる場面が多かったのかなと思いつつ、ミスなくやっていれば…というところでポイントをずっと積み重ねることができて、最終的には2連勝で終えることができました。本当に辛いというか、苦しいなかをドライバーが辛抱して走ってくれたのは良かったと思います。

 チーム的には、個人的な部分にもなるんですけども、今年は予選ですごくルールが変わって、ふたりの合算(タイム)で(ポジションが確定する)というところが、我々のチームにとっては非常にメリットになった部分もあります。SUGOだったり、オートポリスだったり、いろんなところでそれが実現できない予選もありましたが、特にオートポリスのレースに関しては、自分のなかでは少し戦略……自分のチームの方針を貫いたが故に、本来だったらフルウェイト(サクセスウェイト最大)で表彰台に上がれるぐらいのパフォーマンスがあったのに、それを実現できなかった。7位に入ったことはすばらしいとは思うんですけども、個人的にはそこでこの子たちを表彰台に上げてあげられなかったという悔しい気持ちが正直残ってます。とはいえ、一年を通して本当にチーム全体でほぼほぼミスなくやってこれたというのが、この結果に結びついたんだなと思っています。とにかくホッとしています。

坪井:今回で(自身)3回目のチャンピオンを獲得することができました。それぞれのチャンピオンに意味はもちろんあったんですけど、1回目のチャンピオンは大逆転のチャンピオンで、2回目はしっかり最終戦まで戦ってチャンピオン。今年はなんですかね、最終戦を待たずしてチャンピオンみたいな形で、同じチャンピオンでも、そこまでのプロセスが1回目、2回目と全然違ったなという(感じ)。3回目のチャンピオンはやっぱり今シーズンランキングトップを1回も譲らずにチャンピオンを獲れましたし、そういった意味では、速さ、強さを一番発揮できた年だったと思うので、同じチャンピオンのなかでも今年のチャンピオンは、ライバル勢に『36号車には敵わないよね』と思わせるようなシーズンにできたと思うので、素晴らしい年だったと思います。

山下:僕、SUPER GTで初めて乗ったクルマが、則竹(功雄)さんの(チーム)であるJLOCのオーディションだったんです。だから、一緒に(88号車とタイトルが)獲れてうれしいです。そのオーディションは不合格か分からないし(笑)、JLOCでレースすることはなかったんですけど、本当にすごくよく覚えています。

 自分のことについては、今年(TGR TEAM au TOM'S)36号車に移籍してきて、絶対(チャンピオンを)獲らなきゃいけない環境ではあったのですが、シーズンが始まる前は『まぁ大丈夫だろう』と思っていたものの、始まってみるとなんて言うんですかね、苦戦っていうかうまく乗れないときもあって、ちょっとそれが余計プレッシャーにもなり⋯⋯。で、最終戦に近づくにつれ、坪井(翔)選手はSF(スーパーフォーミュラ)で勝っちゃうし、(SUPER GTでは坪井選手に)ダブルタイトルが懸かってるし⋯⋯みたいな。また、チームは2連覇かかってるしみたいなっていう状況で、プレッシャーというか、なんか珍しく緊張を感じるほどで。自分は今までそういうのはあんまりなかったんですけど、そう感じるレースが多くて。ただ、そのなかですごい速いわけではないですけど、それなりにチャンピオンが獲れるぐらいのパフォーマンスを出せたのかなっていう風には思います。今日のレースもちょっと気を抜けば2、3番に落ちそうな展開ではあったんですが、なんとかそこを押さえ切れたので、ほんとに完璧な形でチャンピオンが獲れてうれしいですし、坪井選手とチームと(伊藤)大輔監督にもほんとに感謝しています。

 

 

 

 

──チャンピオン獲得のターニングポイントになったレースはありますか? また、その理由も教えてください。

 

伊藤:難しいですね。さっきも話しましたけど、とにかく毎戦毎戦、ミスなく優勝できなくても高いポイントを獲るということを心がけてきました。でもそのなかで“敢えて”と言われると、やはり去年獲りこぼした開幕戦です。きちんと優勝してシーズンの流れを作ったという意味では、非常に大切な優勝だったと思います。

坪井:(第8戦)もてぎですね。ウエットになってくれたおかげもあ ったんですけど、(燃料流量リストリクター調整によって)“ワンリスダウン”で戦わなきゃいけない状態で。ワンリスダウンのもてぎだと相当厳しいと思ったんです。でも、運よく雨も降ってくれて、山下選手の”豪速タイム”で予選3位を獲れたので、あそこで『決まったかな』っていう感じでしたね。そのあと優勝して、最終戦は大量リードで挑めたっていうのもそれに繋がってると思うので、僕はもてぎの予選が今年を決定づけたのかなと思います。

山下:坪井選手とまったく同じなんですけど、そこまでは完璧なレースをしつつも、(チャンピオン争いで)37号車(Deloitte TOM’S GR Supra)が1ポイント差、100号車(STANLEY CIVIC TYPE R-GT)が2ポイント差でいましたので。で、もてぎで勝てたことで(ポイント差が)18ポイントに急に広がったので、やっぱりもてぎかなと思います。

 

 

 

 

──ドライバーの強みはどんなところですか?

 

伊藤:もう、強みというか、ご存じのとおり、(坪井選手はスーパーフォーミュラと)ダブルタイトルを獲るぐらいの選手です。とにかく速く走って、コメントも的確で⋯⋯っていうところで、レースウィークを戦っていくなかで、あんまりこう変なところに足を踏み外さないところが強みだなと思っています。山下選手に関しては、このおもしろさじゃないですかね。雰囲気なんかは、こう⋯⋯和ませてくれるし。確かに自信のない部分を正直に表に出したりするところもあるんですけど、きちんとやっぱりステアリング握れば速く走ってくれるし、そのギャップみたいなところがチームのなかではいいモチベーションになっているのかなと思います。

坪井:(山下選手の強みは)大体、昨日(の予選会見で)言ったので、昨日を振り返ってください(笑)。ほんとに“速い、強い”っていうのはもう間違いないですし、同い年コンビでこういうふうにやれたのは僕にとってすごくありがたい1年だったので。(今日の決勝では)なんか珍しく緊張してくれたみたいですけど、緊張してでもやっぱりプロの走りをしてくれてましたし、じゃあ、その緊張というリミッターが外れたらどんだけ速く走っちゃうの? みたいなところがあって、まだまださらに速くなっちゃうと僕の立場がなくなるので、もうこれぐらいにしておいてほしいなというぐらい、ほんとに速さ、強さは申し分ないので。はい、文句ないです。

山下:坪井選手もこの歳でタイトル(獲得が)3回目?で、今年は(スーパーフォーミュラとの)ダブルタイトルでSUPER GTも2連覇っていうことで、もう実績からも日本のトップの⋯⋯ほんとトップだと思います。僕からいろいろ言うことはないと思います。速いし、クルマがちょっと合っていなくてもタイムを出してくるの!? みたいな⋯⋯。そういうのもすごく感じます。で、駆け引きもやっぱり強い。昨日も言いましたが、去年まで違うチームで、もしコース上で遭ったら『めんどくせぇな』って思う相手です。そのドライバーが味方にいてくれるとすごい心強いですし、お互いずっと(コンビを)組みたいねとは言ってたし、実際に組めるとは思ってなかったので、トヨタさんにも感謝です。今後も坪井選手と一緒にやっていけたらいいなと思います。

 

 

 

 

 

GT300 Class

 

No.88 VENTENY Lamborghini GT3
小暮卓史/元嶋佑弥/則竹功雄 監督(エントラント代表)

 

※ドライバー回答は質疑応答の順としています。

 

 

 

 

──チャンピオン獲得の感想を聞かせてください。

 

則竹:素直に本当に嬉しいですね。(この記者会見に出席するという話が)突然まわってきましたので話すことを考えていなかったものですから……。
(チャンピオンを獲得するまで)30年かかったんですけれども、1994年に手作りのカウンタックを作って、それでずっと続けて……ランボルギーニ社も協力はしてくれましたけど、サテライトでクルマを作ってくれた(だけでした。)
 実は2016年にダラーラと一緒にウラカンでレーシングカーを作るというプロジェクトがスタートして、その社長は今もうお辞めになられたんですけれども、「則竹、絶対に勝てるクルマを作ったから、絶対にチャンピオンを獲れ!」と言われて、そこから7年かかりました。
「(チャンピオンを獲って)どういう思いか?」と言われると、まさしく“万感の思い”に当たるなと思っています。これからゆっくり嬉しさにひたりたいなと思っています。

元嶋:僕がJLOCに入ったのが2016年か2017年なんですけど(注:2017年/No.87 ショップチャンネル ランボルギーニ GT3)、最初はリザーブ(ドライバー)として入って、翌年87号車を(レギュラーとして)ドライブしました。その時はSUPER GTにフル参戦できるかできないか、どちらかと言えば(フル参戦は)厳しいかなというところを則竹(功雄)代表に拾ってもらい、そこから僕のSUPER GTのキャリアが本格的に始まりました。
 フル参戦を始めて2年目で小暮(卓史)選手と組ませてもらったんですが、87号車での1年目が終わった時に「お前、来年は最高のパートナーを用意したから楽しみにしておけ!」と則竹代表に言われて、それがまさか小暮選手だとは思ってもいませんでした。幼い頃、テレビの向こう側でメチャクチャ活躍して暴れまくっている選手がまさか僕のチームメイトになるとは本当に思っていなくて……僕からしたら“スーパースター”でしたから。
 JLOCに入った当初はもっともっと強いチームで走ってチャンピオンを獲りたいという気持ちがすごくありましたし、そういった動きもしていましたけど、小暮選手と組ませてもらったシーズンを過ごした時に則竹代表に言ったと思うんですけど、「僕、このチームと心中します!」と。それぐらい、則竹代表の一本気なスタイルに惚れましたし、その頃から“このチームでチャンピオンを獲りたい”という気持ちに変わってきて、そこからレース以外のところでもいろいろな人から情報収集とかして、まずは優勝に向けて、本当に必死にがんばりました。
 時間はかかりましたけど、昨年の最終戦(もてぎ)で勝てて、まず「本当に良かった。ホッとしたね」というところから、小暮さんと一緒にこんなに早くチャンピオンまでこられるとは思いませんでした。でも、これで則竹代表に少しだけ恩返しをできたのかなと思いますし、まだまだ則竹さんとの目標もありますので、もっともっとレースに集中してこれからもがんばれたらなと思います。

小暮:振り返ると僕はGT500にずっと乗っていたんですけど、“卒業”というか、そういうカタチになった時(2019年)にレーサー人生はその時点で終わりかなと思っていました。でも、そういう時に則竹(功雄)さんにチャンスを与えていただいて、正直、ここまでこられるとは思っていなかったところもありました。
 チームに受け入れてもらって初めて(ウラカンに)乗った時に、GT500と違うGT3の、一見簡単に乗れそうなんですけど突き詰めるとすごい奥の深い難しさがあって、そういうなかで元嶋(佑弥)選手の走りに圧倒されて、全然タイムも敵わないし、どうなっちゃうんだろうなと思っていました。でも、則竹さんの「大丈夫! お前のことを信じているから」という言葉がすごく嬉しかったですし、(一方で)すごくプレッシャーに感じて、“これはなんとかしなくちゃいけないな”と思っていました。そういうことがあったのでチャンスを与えてくれたチームや則竹さんに(結果で)返していきたいなと思っていたんですけど……元嶋選手とも話していたんですけど、自分自身もだんだんウラカンに慣れてきたなかで、でも優勝がなかなかできなくて、ものすごくハードルが高いなと。GT500にもGT500の難しさがあって、レベルのすごく高いドライバーたちと戦っているんですけど、GT300はGT300でその時のコース、マシン、タイヤの全部が合致しないと勝てない。そういうなかですごく苦労した5年間があって、でも、昨年の最終戦で勝てて、そこから流れがすごく良くなりました。チームもレベルアップしましたし、みんなのおかげかなと。  今回のチャンピオンもこれまで培ってきたものが、それは僕と元嶋選手もそうですけど、何年もかけて積み上げてきたものが爆発したのかなと思います。

 

 

 

 

──チャンピオン獲得のターニングポイントになったレースはありますか? また、その理由も教えてください。

 

元嶋:個人的にはオートポリス(第7戦)ですかね。オートポリスの予選でふるわなくて十何番スタート(注:予選15位)とかなり後方からで……今年ずっとチャンピオンを意識しながら走っていて、オートポリスを落とせば今年のチャンピオンシップの権利がなくなるという状況のなか、予選で沈んでしまい、ただ、スタートしてからは死にものぐるいで必死で追い上げて、ペースもあって気付けば優勝というという結果で、その次のもてぎでも同じような状況になりました。僕はどちらかというと“当たり障りのない”レースをやりたいほうで、波風立てずに「安心だよね」と言われるようなレースをやりたいんですけど、オートポリスをきっかけに久しぶりにアグレッシブなレースをすることになって……自然と気持ちのなかでチャンピオンを意識した走りに変わったというのはオートポリスかなと、今でも思っています。間違いないです。

小暮:自分も同じくオートポリスですね。オートポリスの後のもてぎ、鈴鹿は結構イケるんじゃないかというか、なんとなくイケるような予感がしていました。ただ、オートポリスをどう乗り越えるかによってシーズンが変わるという意味で、すごく重要だと思っていました。例年クルマも速かったので、ここ(オートポリス)をうまく乗り越えたらすごく面白くなるよね、というところで優勝できたので、あれで一気に流れが変わったと思います。

則竹:いまふたりが話してくれたとおり、たしかにオートポリスかなと思うんですけど……私は実は(もともと予定されていた)8月の鈴鹿戦が流れたことだと思っています。(ホテル代などの)キャンセル料を払って大変だったんですけどね(苦笑)。
 実は我々NA(自然吸気)のエンジンなんですよ。8月にレースをしていたら、おそらく今日のパフォーマンス(を出すの)はちょっと難しかったんじゃないかなと。気温が20℃くらい違いますとNAのエンジンはパワーが落ちたり上がったりするものですから、そういう意味では違った意味で台風のおかげかなと思っています。

 

 

 

 

──ドライバーの強みはどんなところですか?

 

則竹:私はこれまで何十人のドライバーとやってきましたけど、このふたりは本当に速いです。間違いなくふたりとも速い。ランボルギーニのワークスドライバーと比べても遜色ないんじゃないかな。そのぐらいウラカンを知っています。
 あえて表現させていただけるなら、ふたりとも速いんですけど……元嶋選手は「ぶつからないけどキレる、キレがいい」。小暮選手も「ぶつからないけれども強い」。これが私の評価です。

元嶋:ここだけは間違いないなと言えることは、(小暮選手は)ずっとスピードを追求していて、いまだに走行が終わったら、それぞれのドライバーのデータを開いて、携帯で写真をバシッと撮って、帰りにずっと画面で見て……まだドライビングを追求しているんだなということはいつも感じますし、同じ条件で走ると速いなと。こうやってふたりで組んでいると比較されがちで僕も油断できないですし、それが自分にとっても“丸い走り”はできないなというモチベーションになっています。

小暮:ほかのカテゴリーでもそうなのかもしれませんが、(元嶋選手は)速さがすごくありますよね。それにウラカンの走らせ方を熟知していたので、元嶋選手から学んだところがすごく多かったです。特に1年目とか2年目とかは相当、彼から学ばせてもらいました。あとはやっぱりレースでいうと“抜いてくる力”がすごくあるんじゃないかなと思います。ウラカンの特性と走らせ方も(理解していますよね)。年齢がちょっと離れているんですけど(11歳差)、僕としてもそうやって速いドライバーと組んで負けないようにやるというのはすごくモチベーションになっていますね。

 

 

 

 

Page Top