GT INSIDE REPORT
Network Edition
GTC 2000
Round7 SUZUKA GT300km


No.5




関谷正徳現役引退特集

 去る10月13日、関谷正徳(No.36 カストロール・トムス・スープラ)が今シーズンでレーシング・ドライバーとしての現役生活にピリオドを打つと発表された。JGTC最終戦の予選走行前に行われた記者会見と、関係者から寄せられたコメントを紹介する。

○引退記者会見
関谷正徳「71年からレースを始めて、当初はここまで来られるとは想像していませんでした。多くの人やクルマに恵まれて、すごい経験をさせていただきました。とくにトムスの舘信秀会長やトヨタ自動車には感謝したいと思います。ありがとうございました。
 思い出のレースはたくさんありますが、ル・マンで優勝したときや初めて2位表彰台に上ったとき、それにフレッシュマンで初優勝したときのことなどは印象に残っています。デビューしたてのころ、自分のあまりの不甲斐なさに『これでレーシングドライバーとしてやっていけるんだろうか』と思ったこともよく覚えています。
 引退を決めたのは2ヶ月くらい前。舘会長と、今後どうしたらいいかということも含めて話をしました。まだ何年かはやれると思うし、未練はありますが、これから新しいことにチャレンジするのには早く勉強を始めて、いろんなことを経験しなければいけないと思って決断しました。
 (来年からやることになる)監督というのはむずかしい職業だと思います。ドライバーは走るだけですが、監督はすべてに目を配って判断しなければならない。ボク自身がどういうことができるかは、これからやっていかなければならない部分があると思います。具体的にどこからどこまでが自分の仕事になるかは、これから舘会長やトヨタと話し合って決めていくことになるでしょう」




舘信秀トヨタ・チーム・トムス代表
「関谷くんに対しては、来年から監督をやってもらうから、またずっと仲間としてやっていくんだなという気持ちが強いですね。その一方ではまだ走ってもらいたい気持ちもあるし、微妙なんです。勇断だと思いますよ、関谷くんの。記者会見では辞めるまでの経緯をあんなふうにいっていたけど、真相を教えてあげましょうか。ボクは毎年、ドライバーのラインナップを関谷くん中心に考えてるので、真っ先に関谷くんと相談するんですね。今年も8月か9月ごろ来年のチームのことについて、関谷くんが乗ってくれることを前提に話したんです。今年は屈辱の年だったし、関谷くんと二人三脚でチームを立て直さないといけないなと思って。それで『来年どうしようか』っていったんですけど、『もうオレ降りてもいいんだよね』っていわれたんです。ボクはそういうつもりがぜんぜんなかったから驚いちゃった。でもそこで『自分で決めてよ、1週間ぐらいで』っていったんです。その結果、自分で出した結論でした。
 ドライバーとしては、今回の引退までずっと高いレベルを維持してきた人だと思います。自分たちでクルマをつくったり、テストをして、レースをしてというなかで、開発能力がすごくすぐれたドライバーでしたね。いっしょにやってきたレースでとくに印象に残っているのは95年のJTCC。タイトル争いしていて、最終戦のファイナルラップだかその前の周だかにトップに立ってチャンピオンが決まったんですけど、すごく劇的だったので印象に残ってるんです。
 ボクも、監督といいながらいまはモータースポーツ全体の仕事で忙しく、御殿場になかなか足を運べなくなっています。トムスを始めたときには、社長というだけではなくてチームマネージャーの役割もし、海外にいくときは旅行代理業みたいなことや通訳もやって、それでドライバーもやっていたんですが、年とともに動けなくなってきますし…。いまも経営者と監督という立場ですが、両立ができなくなってきました。ですから今後はオーナーとして資金を集めるのがボクの仕事。もちろん、すぐに監督の仕事を全部任せるとたいへんだと思うので、来年は二人三脚でやって、そのうち関谷くんに全部任せたいと思っています。細かいから監督に向いてると思いますよ。
 今回のレースは優勝してほしい。せめて最後に表彰台に上がってほしい。関谷くんに期待するというより、上がらせてあげたいんです」

鈴木利男(No.37カストロール・トムス・スープラ)
「いままで大きなけがもなく無事に終われて、それがいちばんよかったんじゃないかと思います。大きな目でみて、国光さんも長谷見さんも関谷さんも、ワークスドライバーを経験している人がみんな辞めていってるのは、ちょっと淋しいですね。もちろん時代時代によってドライバーの価値観は変わっていくと思うけど、ドライバーとはこうあるべきだ、どういう状況のときにどうすべきかというふうに、若い子たちの手本になるべき人たちがいなくなるのは淋しい。来年からは監督ということだけど、今年ル・マンで1回監督をやってくれてるでしょう? あのときに意外にいい加減な人だってことがわかった(笑)。監督っていうのはレース全体やクルマを主体に考える人が多いけど、関谷さんはドライバーの立場からコメントしてくれるので、受け入れられました。
 いっしょに走ったレースで思い出深いのは86年のグループAの仙台ハイランド。ディヴィジョン3のカローラFXで土砂降りのなか総合優勝したことだね。長谷見さんがなかなか抜けなくてね。それを抜いてトップ帰ってきたら、関谷さんに『なんでもっと早く抜かないんだ』っていわれたんだよ。抜きたいのはやまやまだけど、抜かせてくれないし、相手はGT-Rでストレートは速いんだから(笑)。ディヴィジョン3で総合優勝っていうのは、ほかには中嶋悟さんが西日本サーキット、今のMINEだけど、あそこでシビックで勝ったことがあるぐらいなんだよ。ドライバーとしての関谷さんに対しては、ル・マンのときに24時間走るセッティングということに関して、細かいところまで気配りをする人だなと思った。そういうところは関谷さんから学んだよ。星野さんや長谷見さんから勉強して、そのあとは関谷さんから勉強して。このあとだれをみて勉強しようかなぁ…」

土屋武士(No.36 カストロール・トムス・スープラ)
「なにもコメントはないです。いまはあまり考えたくない。走ることでいっぱいいっぱいですよ。一生懸命走ること。それが関谷さんへの花むけだと思います」


星野一義(No.12 カルソニックスカイライン)
「関ちゃんと同じカテゴリーで出てたなかで印象に残ってるのはJTCC。静岡マツダからサバンナで出てきたときのこともよく憶えてる。それからル・マンで関ちゃんが優勝したときのことも。トヨタと日産という壁があるなかで、同県人ということで、ライバル意識を持ちながらも関ちゃんにいいレースをしていってほしいっていう気持ちはずっとあったよ。それにしても、同じレースで闘ってきて正直淋しい気持ちがするよね。自分にもあてはめて考えられることだから、動揺しそうだよ。だけど、関ちゃんが自分でシミュレーションして、悩んで決めたことだと思う。来年からは監督だと聞いてるけど、今後もレース界に貢献してもらって、自分なりの道を切り拓いてもらいたい。とにかく長いあいだ大きなけがもなくてよかったと思う。ありきたりの言葉になるけど、お疲れさまでした」

近藤真彦(No.32 cdmaOneセルモスープラ)
「残念ではありますね。ボクはトヨタ(系チーム)に来てからアドバイスをいただくようになって、今年はル・マンでもいっしょでした。考え方が日本人離れしているというか、冷静にレースの仕事を受けとめている印象を受けました。だから後輩にシートを譲って次のステップに踏み出す決心をされたんだと思います。たぶん関谷さん自身、現役を辞めることをステップダウンではなくステップアップと考えていらっしゃるんじゃないでしょうか。これからは、具体的なテクニックとかはなかなか教えられるものではないでしょうけれど、精神的な部分では教わることが多いと思います。ル・マンで、自分たちに与えられた仕事だけを一生懸命やることがボクたちの仕事だっていわれたことが印象に残ってますね。クールなようだけど、参考になるアドバイスでした」

鈴木亜久里(No.8 ARTA NSX)
「来るときはだれにでも来るから…。これからトヨタも若手育成のプログラムができるだろうし、その核となってがんばってほしいよね。そうして関谷さんが育てたドライバーが強くなっていってほしい。JTCCのときにチームメイトにならせてもらったんだけど、まじめな人という印象。なんでもすごくまじめに取り組む人だった。時代はかならず流れていくんだから、こういう日は来るのはしょうがないと思う」

関谷葉子さん(関谷正徳夫人)
「ドライバーを辞めるという話を聞いたのは夏ごろです。あるとき急に『降りてもいいかな?』っていわれたんですけど、『それは私が決めることではなくて、あなたが決めることだから』と返事しました。それから2週間ぐらいは、あと1年やろうかどうしようかっていうのがありました。今年の成績があまりよくなかったので、タイトルに向けてあと1年がんばろうっていう気持ちもあったし、私も関谷も、もうちょっと正太郎(長男)にレースをみせたい気持ちもあったので…。でも結局『あと1年やっても変わらない。降りようと思ったときが降りるときなんだよ』と。私も、あと1年むりして乗ってもらってけがをするよりもいいと思いましたし、『いいタイミングなんじゃない?』といいました。
 私のなかでは、ドライバーとしての関谷は引退するけど、モータースポーツ人としてはこれからも現役というふうに考えています。ヘルメットを被っている姿を見られなくなるのは淋しいですけど、この人はステージアップするんだ、と思っていますよ。そのために30年の経験と人との出会いが必要だったんだ、ステージアップするための30年だったんだって、あるときフッと思ったんです。それまでは淋しかったんですけどね。
 今回の決勝と来週のN1(スーパー耐久)が残ってますけど、とりあえず30年、最後までぶじな体で終えられそうでよかった。ドキドキするのももうちょっとで終りかなと思っています。でも、あと15年はモータースポーツの世界でがんばってほしい。とりあえず正太郎(息子)が成人するまではね(笑)」





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