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「全日本GT選手権(JGTC)」として1994年にスタートしたSUPER GTには現在、GT500とGT300の両クラス合わせて40台以上ものモンスターマシンが参加しており、その40台超がコースのあらゆる場所でテール・トゥ・ノーズ、サイド・バイ・サイドのバトルを展開する。例えば、富士スピードウェイでのGT500マシンの最高速は300km/hにもおよぶ。そんなハイスピードでのバトルは手に汗握る白熱したもので、それがSUPER GTの魅力のひとつなのだが、それはつまり、危険との隣り合わせでもあるということだ。
そこで、SUPER GTではJGTC時代の2002年から「FRO=First Rescue Operation(ファースト・レスキュー・オペレーション)」と呼ばれるレスキュー体制を構築した。レースや走行セッション中に発生したクラッシュやアクシデントの際に「ドライバー」「ファイヤー&レスキュー」「ドクター」の3名1組で出動し、初期消火や救出活動、救命救急を行なっている。
これまで、発足から25年目を迎えた「FRO」の役割や活動内容、今シーズンからFROに導入されたニューアイテムについて紹介してきたが、最終回となる今回は、FROをはじめSUPER GTのメディカルおよびレスキューに関して話を聞かせていただいたメディカルデリゲート(医療責任者・MD)の渡邊水樹ドクター※の“想い”をお伝えする。
※トップ写真は渡邊水樹MD:2025年第6戦SUGOのスタート前
「僕がレースに携わるようになったのは高校時代、隣のクラスの土屋武士くん(現つちやエンジニアリング代表。元GT500/GT300参戦ドライバー)と仲良くなって、つちやエンジニアリングの工場に出入りしていたことがきっかけです。彼がレースを始めた頃、僕は大学で本格的にサッカーをやっていたんですが、ケガで入院することになり、そこで出会ったドクターに憧れて医師の道を目指しました。サッカーが思うようにできなくなったこともあって、その頃に通っていた大学を辞めて、医学部に入り直したんです。
その後、脳神経外科の医者になって……富士スピードウェイで行なわれたF1の時(2007年)にメディカルセンターの仕事をしたのが最初ですね。武士くんを通じて知り合った人たちのおかげです。その後も本業の合間を縫って富士や鈴鹿でメディカルセンターの仕事を続けていたのですが、坂東(正明)さん(GTアソシエイション代表)に声をかけていただいて、2014年からFROに加わりました。それから“現場”を10年ほどやって、2024年にメディカルデリゲートになりました。勤務医でありながら、SUPER GTの年間8戦+αのサーキットでの仕事に理解を示し、協力してくれる聖隷浜松病院と家族には感謝しかありません」

渡邊MDがFROに加入した2014年開幕戦岡山で、同級生でもある土屋武士選手と並んで。
「レースの舞台は『武士の場所』だと思っているから『鼻が伸びない』でいられるんだと思う」とは渡邊MDの弁。
「現在はメディカルデリゲートとして、レースや走行セッション時には『管制(レースコントロール)』で仕事をしています。主な仕事内容は管制室のモニターでレース(コース上)を監視し、アクシデントやクラッシュが発生した際にはFROの出動やドライバーの救出方法などについて指示を出したり、予選日の朝に実車を使って行なう『救出訓練』では各サーキットのレスキューチームとの連携を図りつつ、問題点があれば、それを修正・指導します。
管制での仕事以外には、レスキューやメディカルへの理解を深めてもらうために講習を行なったり、ドライバーズブリーフィングに参加して協力を仰いだり……僕はコミュニケーションというか、“顔と顔がつながる関係を作りたい”と思っているので、個々のチームに足を運ぶこともしています。そうすることで、お互いに理解し合えるのかなと。あとは、各サーキットの医師団長さんとも積極的にコミュニケーションをとって、メディカルセンターの充実や円滑な医療行為ができるよう努めています。
僕の前任者である高橋規一先生や三浦 勝先生、山口孝治先生たちがFROをスタートさせて育ててくれましたが、僕はそれをさらにルール化&明文化したうえでプロフェッショナル化し、“権限”と“決定権”を実現しました。
その具体例がFROの『ドライバー』と『レスキュー&ファイヤー』にチーフを作り、それぞれ山脇大輔(最下段の集合写真/右端)と松本和之(同/左端)に任せたこと。“役”を与えたことで、彼ら自身もこれまで以上に責任感を持って仕事に取り組んでくれていますし、彼らのサポートがあるからこそ、僕自身、自分が『こうしたい』と思うことを実現できるように活動し続けていられるんだと思っています」

昨年の第7戦オートポリス大会、管制室での渡邊MD。
レースがスタートする前から無線を手に、真剣な表情でモニターを注視する。
この時はグリッド最後尾に並ぶFROと交信し、スタート前の最終確認を行なっている。
「僕がFROの一員となって10年、その間にDTMやニュル24時間などへ出向き、現地のメディカルがどのように運用されているのかを視察したり、DTMのドクターと意見交換する機会が多々あり、ヨーロッパのドクターたちともコミュニケーションがとれるようになりました。例えばDTMのメディカルやレスキューにおいて優れた部分をSUPER GTに還元しつつ、こちらからも提案したりして、良好な関係を築けています。その点では本職も含めて、本当に恵まれた環境だと思っています。だからこそ、自分なりに責任感を持って活動し、さらに次の世代を作っていきたいと思っています。
その“次の世代を作る”という意味で言うと、『レスキューとしてサーキットの仕事をやりたい』という人が浜松の病院まで僕を訪ねてきてくれたことがあるんです。そういう方には、なるべくその方の居住地近くのサーキットの医師団長さんを紹介して、まずはサーキットでの経験を積むようにうながしています。僕を訪ねてきてくれた人は、その後、モビリティリゾートもてぎで2〜3年レスキューをやって、今は念願かなって2輪のレースに帯同しているそうです。
それから、少し話は変わりますが、スーパーフォーミュラでメディカルアドバイザーをやっている水谷敦史先生という方がいるんですが、実は彼は医大の同級生で、同じ脳神経外科医で、家が近所ということもあって、SUPER GTとスーパーフォーミュラのメディカル&レスキューについて意見交換をして、情報を共有し、共通認識を持つようにしています。水谷先生とはWEC(世界耐久選手権)やWRC(世界ラリー選手権)などで一緒にレースメディカルの仕事をすることもありますし、僕がスーパーフォーミュラの現場を手伝ったり、彼がSUPER GTの現場を手伝ってくれることもあるんですが、友人でもある水谷先生がスーパーフォーミュラのメディカルアドバイザーをやっていることが、僕にとっても、もしかしたらモータースポーツ界においても、微力ながら相乗効果につながり、その果てに大きな影響があるんじゃないかなと思っています。これからも切磋琢磨していきたいですね。そして、最後になりますが、これらの活動があることで、モータースポーツが『スポーツ』として認識されることの一助になれば、と思っています」

昨年の第6戦SUGOのグリッドで水谷敦史先生と。
浜松医療センターで救急科医長を務める水谷先生とは医大時代の同級生。
同じ浜松市内の病院に勤務し、自宅も近いことから、よく“懇親会”を行なっているそうだ。
モータースポーツは危険を伴うスポーツである。レーシングドライバーはその危険と隣り合わせであり、誰もがクラッシュに遭う可能性がある。だからこそ、SUPER GTのFROやサーキットのレスキューチームは訓練を重ね続け、その“万が一”に備え続けている。
万が一のための仕事なので、彼らの出番がないことが何より望ましい。それでも彼らとサーキットのオフィシャルたちは各戦で予選日の朝に、必ず「救出訓練」を行なっている。レースが無事に終わった際には、FROをはじめレース運営を支える様々なスタッフにも感謝の気持ちを持っていただければと思う。

SUPER GTメディカルデリゲート 渡邊水樹ドクター(左から2番目)
1972年生まれ。聖隷浜松病院 脊椎脊髄外科部長。脳神経外科医として、せぼね骨腫瘍科/脊椎脊髄外科を担当。
SUPER GTのメディカルデリゲートを務めるかたわら、WECやWRCなどのメディカルにも携わる。
つちやエンジニアリングの土屋武士監督とは高校時代の同窓生。
(写真左から)FROファイヤー&レスキューの松本和之チーフ、渡邊MD、
開田祐矢デュプティ・セーフティデリゲート、FROドライバーの山脇大輔チーフ。