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No.1 au TOM’S GR Supra
坪井翔/山下健太

No.5 マッハ車検 エアバスター MC86 マッハ号
塩津佑介
「ペースもタイヤも守りながら走った」
素直に嬉しい(という気持ち)が勝って何を話していいのか分からないぐらいなんですけど……去年からTEAM MACHに加入させてもらって、玉中(哲二)オーナーの下で2年間レースをさせてもらって、去年はなかなか結果を残すことができなかったんですけど、積み上げてきたものが徐々に形になって、今年はシーズン序盤から上位で争えるレースができるようになりました。それが鈴鹿ですごく悔しい思いをして、3位は3位だったんですけど、(繰り上がりだったので)ふたりで表彰台に立てなくて……どうにか勝ちたいという想いでずっとやってきました。
このもてぎは流れが良くて、チームも木村(偉織)選手もすごく速くて「“モテギマイスター”だな」という話をしていたんですけど……木村選手のおかげでここに立つことができて嬉しいです。
レースに関しては僕がスタートを担当して、最初から「無交換でいくからタイヤを使うなよ」と玉中さんに言われていました。なおかつ「後ろにも抜かれるな」と言われて、ペースも守りながら、タイヤも守りながらがんばって走りました。 途中GT500クラスと交錯するタイミングで抜かれてしまったのは僕としては悔しい部分はあったんですけど、それでも木村選手にいい位置でバトンを渡せることができたので、そこは良かったかなと思っています。
今年の最初に木村選手と組むということになって、元々の出会いは……今回、Xで判明したんですけど、カート時代の12年前の写真が出てきたんです。たまたまレースで出た並びが同じで“すごく懐かしいね”という話をしていて……。
(木村談)目の前にいたんだよね。俺がひな壇の後ろにいて、目の前に佑介がいて、その時はまったく知らなかったというのが写真で発覚したんです(笑)。
その後の出会いが鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS/現Honda Racing School Suzuka)でした。そういう流れもあって、さらに年齢も近いですし、体格もほぼ一緒でシートもぴったりで……コンビとして木村選手と組めて、僕もいろいろ勉強になりましたし、本当に良い1年だったなと思います。
思い出に残るのは今日のことかな。全戦思い出に残っていますけど……鈴鹿での悔しい思いが一番かな。木村選手が(熱中症でレース後)メディカルセンターに行って、(そこで)一緒に泣いたよね。「表彰台に立てなかった」っていうのが本当に悔しくて……。(木村選手に対して)今日は嬉し泣きで、一緒に泣けた?
(木村談)オマエだけだよ、泣いてたの。
僕、意外に涙もろいみたいで……今日たくさん泣いたので涙も枯れたんですけど(苦笑)、本当にすごく幸せだなと思っています。チームにも応援してくれている人にも、ここまで関わってくださったみなさんに本当に感謝しています。
木村偉織
「『玉中さんの目から“汗”が出てる』と聞いて嬉しかった」
まずはチャンスをくれたチームに感謝したいなと思っています。支えてくれるスポンサーだったり、日頃サポートしてくださるみなさまに感謝の気持ちを伝えたいと思います。
自分のスティントを振り返ると、後半を担当したんですが、タイヤ無交換だったのでどこまでいけるのかということをタイヤと会話しながら、GT500やスーパーフォーミュラで学んだタイヤマネージメントの経験を活かして、今回、うまくいくことができました。そこは自分の経験をうまくフルに活用して勝てて良かったです。
あとは1台しかいないMC86のためにヨコハマタイヤさんが一生懸命開発してくれて、最後までペースのいい、良いタイヤを作ってくれたので、ヨコハマタイヤさんにも感謝したいですし、本当にみんなに感謝だなと思いながら、最後のラップまでアクセルを踏んでいましたね。
思い出はいっぱいありますけど、塩津(佑介)選手と体格も似ているし、性格も優しくておもしろいところも似ていて……いいチームメイトと今年1年間レースできたと思っています。あとは移動の車内で結構おもしろい話をしたことが思い出としては大きいですけど、レースだとやっぱり(第5戦の)鈴鹿で表彰台にのれなかったことが悔しかったですね。(繰り上がりでの3位だったので)ちゃんと3位でゴールして表彰台に立ちたかった。それに何よりもずっと玉中(哲二)さんが「勝ちたい、勝ちたい」と言い続けていたのですが、僕たちドライバーとしてはオーナーの期待に応えるためにここにいるので、それを今日叶えることができて、(チーム創設から)22年越しの優勝ができたというところ。あとは玉中オーナーって割とサバサバしているんですよ、九州男児という感じで。でも、その玉中さんが「ちょっと目から“汗”が出てる」という話を塩津選手から聞いて……嬉しいですね。泣かせちゃいましたよ(笑)。玉中さんの涙が出たことが僕の(一番の)思い出です。
