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2019.04.08
【SUPER GT 観戦ガイド 2019】第7回:SUPER GT 25年間の歴史

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SUPER GT 25年間の歴史 - 日本発のインターナショナルレースシリーズの歩み

 2019 AUTOBACS SUPER GTの開幕を前に、レース観戦初心者やまだサーキット観戦が慣れないという方に向けたSUPER GTの基本情報や楽しみ方をご紹介。
 第7回は「SUPER GT 25年間の歴史」として、SUPER GT誕生とその歩み、国際化の過程などをご紹介します。

 

 

 2018年シーズン、AUTOBACS SUPER GTは全8戦を行い、44チーム、のべ111人のドライバーが参戦しました。参加した車種はGT500クラスが国内の3メーカーの3車種で15台、GT300クラスは国内外のメーカー(ブランド)13社の14車種で29台でした。
 この大規模なSUPER GTが、昨年は国内で7戦、タイで1戦を行った結果、年間の総観客動員は388,066人にのぼり、1戦平均では48,508人もの皆さんにご来場いただきました。
 このスケールのモータースポーツイベントは世界をみても、そう多くはありません。SUPER GTは、どのように誕生し、このような成長をとげたのでしょうか?

 

 

 

 

■全日本GT選手権の誕生とその原型の完成

草創期:JGTC 1994-1995年

 SUPER GTの前身は、全日本GT選手権(JGTC)です。1992年にグループCカーによる耐久シリーズの全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)が、翌1993年にグループA車両による全日本ツーリングカー選手権(JTC)が終了しました。
 国内モータースポーツ界の有志は、チームが安定してレースを続けるには? より刺激的なレースを行うには? より多くの観客、テレビ放映、スポンサーを集めるには? といった課題を真剣に考え、「プロフェッショナルなシリーズ」をつくる必要があると結論を出しました。この有志グループが運営団体のGTアソシエション(現在の株式会社GTアソシエション)となり、新たなGTシリーズ・JGTCをつくりました。
 そして翌1994年5月1日の富士スピードウェイで、JGTCの第1戦が54,300人もの観客を集め開催されました。これがSUPER GTに連なる最初のレースとなります。

 

 開幕戦富士のエントリーは、GT1(現在のGT500)クラスが14台、GT2(同GT300)クラスが4台の計18台。当時はドライバー1人で決勝レースを走りきることもできました。1995年までこのクラス名称と、レーススタイルで行われました。また、決勝レースの結果によるウェイトハンディ制も初年度から実施され、以後何度か時代に即した改定を行い現在まで続いています。
 当時のGT1主力車種はスカイラインGT-R(R32)やランボルギーニ・カウンタック、フェラーリF40など、JTCのマシンやスーパーカーをベースとした車両が中心でした。また、JSPCのポルシェ962Cや、ラリーカーのランチャ037なども参戦して話題も呼びました。1994年の後半には、TRD(トヨタのレーシングカー開発部門)が手掛けたスープラが参戦。ここから、日産とトヨタ(現在はレクサス)の宿命の戦いが始まったのです。
 また、GT2はポルシェ991のカップカーや、JSSと呼ばれた国産スポーツカーレースの車両が中心でした。国産のGTカーやスポーツカー、そして海外のスーパーカーが競い合う図式は、現在まで変わっていません。

 

   

 

 

 

■参戦台数とレース数の拡大、規則の整備

JGTC 1996〜2004年

 3年目となる1996年は、レース規則の面でターニングポイントとなりました。まずドライバーが2名制になり、クラス名称がGT500クラスとGT300クラスに改められました。2名ドライバー制は、初年度からの基本ルールでしたが、予算や規模的に参戦が難しいチームもあったため、シリーズが軌道に乗るまでは1名でも認めるという暫定措置があったのです。また、クラス名称は、初心者の観客にもクラス車両の違いが分かりやすいようにと、当時のクラス車両ごとの想定馬力の数字にしたわけです。
 この1996年には「オールスター戦」というエキシビションレースが、シーズン終了後に初めて開催されました。参戦チームをファンの人気投票で選んだり、レース以外にドライバーとふれ合うイベントを取り入れたりと、観客への感謝を込めた大会でした。またオールスター戦には、新しい開催地の開拓という面もあり、オールスター戦を行ったツインリンクもてぎ(1997年)、TIサーキット英田(1998年、現在の岡山国際サーキット)、オートポリス(1999年)は、その後シリーズ戦に組み込まれています。

 

   

 

 2000年以降は海外での開催も始まります。最初の海外大会は2000年、マレーシアのセパンサーキットでの特別戦でした。セパン大会は特別戦を2度開催し、2002年に初の海外シリーズ戦となり、2013年まで行われました。また、2004年にはアメリカのカリフォルニアサーキットでも特別戦が開催されました。

 

   

 

 

 マシンでは、1997年第2戦からHondaが支援し、童夢と無限が開発したNSX(初代モデル)がGT500クラスに参戦を開始。ちなみにNSXとしては、1996年にイギリスで造られたル・マン24時間レース用の車両をベースとしたマシンが1シーズンだけ参戦しています。
 これでGT500クラスは、GT-R、スープラ、NSXという国内3大メーカーを中心とした(マクラーレンF1GTRも2004年まで参戦)戦いの場となりました。なお、スカイラインGT-R(R34)が生産終了となったことから、日産は2004年からフェアレディZに車両を変更しました。

 

   

 

   

 

 GT300クラスでは、当時のGT300車両規則(この延長に現在のJAF-GT300規則がある)の改造範囲の広さを活かして、トヨタのMR2やセリカ、MR-S、日産シルビア、スバルインプレッサ、マツダRX-7など国産スポーツカーをベースとしたマシンが参戦。ポルシェ911GT3RやフェラーリF430、ランボルギーニ・ムルシエラゴなど欧州スーパーカー、そして、ガライヤやビーマックなど少数生産車と熱戦を繰り広げました。GT300車両の車種がより多彩になったのもこの頃です。

 

   

 

   

 

 

 1998年には、AUTOBACS(株式会社オートバックスゼブン)がJGTCのシリーズ冠スポンサーとなりました。そして現在まで、AUTOBACSはSUPER GT/JGTCと共にモータースポーツの振興を支え続けていただける得がたいパートナーとなっています。

 

   

 

 

 

■インターナショナルシリーズ“SUPER GT”へ

SUPER GT 2005年〜

 2002年から海外戦をシリーズに組み込んできたJGTCは、2005年シリーズから“SUPER GT”と名称を改め、正式に複数国でレースを開催できるインターナショナルシリーズとなりました。
 その名称は、単なる国内のGTレースを超え、海外でも開催し、認知されると言う意味と、同時に参戦のGTマシンもよりSUPERになるという意味があります。
 2014年からはマレーシア大会に代わり、タイのブリーラムにあるチャン・インターナショナル・サーキットで海外戦が開催されています。また、2020年からは再びマレーシアのセパンサーキットで開催される予定です。

 

 GT500クラスでは2006年にカーボンモノコックの使用が許され、レーシングカーとしての基本性能がさらに高まりました。その年にレクサス(トヨタ)はスープラに代え、SC430を導入。2008年には日産がフラッグシップカーのNISSAN GT-Rの発売に合わせて、GT-RをSUPER GTに復活させました。またHondaもNSXの生産終了から2010年にHSV-010 GTを参戦させています。ちなみにHSV-010 GTはHondaにとって初のフロントエンジン/リアドライブのレーシングカーで、世界のマスコミやカーマニアからも注目を浴びました。

 

   

 

   

 

 GT300クラスでは、2011年のFIA GT3車両の登場が契機でした。その年にBMW Z4がタイトルを獲得。これにより、欧州のFIA GT3車両と国産のJAF-GT300車両という構図に変わっていきます。さらにFIA GT3車両にNISSAN GT-R NISMO GT3やLEXUS RC F GT3、2018年にはHonda NSX GT3の国産車も参戦。こうなるとメーカーの「開発競争」が心配されますが、FIA GT3の規則ではメーカーはクルマを提供(販売)し、カスタマー(購入者)チームがレースを享受する仕組みを作り、性能調整も使って、過度な開発競争にならないようにしています。

 

 一方で市販車をレーシングカーに仕立てるおもしろさを残したGT300車両の参戦も、JAF-GT300規則の下で続けられています。さらに“クルマづくり”にこだわる小規模レーシングガレージのために、2015年からマザーシャシーが本格的に参戦。安価で自らの技術を活かすレース用GTカーが造れるようになりました。
 諸外国のGTレースがFIA GT3車両や、高性能ロードカーがベースのGT4車両がほとんどになる中、SUPER GTのGT300クラスは“ものづくりの日本”という環境を活かし、世界にない多彩な車種を誇る独自のGTレースを確立しました。

 

   

 

   

 

 

 そして昨年6月、SUPER GTはドイツツーリングカー選手権(DTM)との統一車両規則「CLASS 1(クラス・ワン)」の完成版を公開しました。GT500クラスとDTMの車両は、高性能ながら車両の開発・製造コストを抑え、安全性も高める同じ規則で造られます。

 

 GT500車両では2014年シーズンから、この車両規則を基本としたLEXUS RC F、Honda NSX CONCEPT-GT、NISSAN GT-R NISMO GT500でレースを行いました。もちろん現行のLEXUS LC500、Honda NSX-GTも同様です。DTMも2019年から、完全なCLASS 1車両となります。SUPER GTにおいてはCLASS 1完成版に基づく"CLASS1+α"(プラスアルファ)が2020年から採用されます。
 そして今年の11月23日(土)、24日(日)には、初のジョイントイベント「SUPER GT/DTM 特別交流戦」が富士スピードウェイで開催されることになりました。

 

   

 

   

 

 

 

 このようにSUPER GTはJGTC時代から、常に革新を続け、時代に即したプロフェッショナルなレース運営を行っています。また、そこでは観客・ファンの存在を忘れず、高いエンターテイメント性も確保されています。
 SUPER GTは、今後も新しいチャレンジを行い、インターナショナルシリーズとしての価値を高め、ファンの皆様に愛されるモータースポーツを目指していきます。

 

 

次回のSUPER GT 観戦ガイド 2019は、
最終回「2019シリーズ開幕目前!前半3戦の見どころ」をお送りします。

お楽しみに!

バックナンバーはこちらから

第1回 サーキットってどんなところ?
第2回 SUPER GT観戦ノウハウ
第3回 レースの基本ルール
第4回 SUPER GTマシンの基本
第5回 チームとドライバー
第6回 ファンサービス&社会貢献

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