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2000年代に入ったJGTC は、国内に留まらず、海外サーキットでの開催を開始。単年でのイベントに留まらず、継続した開催となっていきました。そして、GT500クラスは国産3車種と海外メーカーの20台前後が、GT300クラスは国内外の多彩なGTカー25〜30台余が参戦していました。
2000 | 海外レースを初開催 | |
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6月にマレーシアのセパン・インターナショナル・サーキットで日本のモータースポーツシリーズとして初の海外戦(シリーズ外の特別戦)を開催しました。マレーシアでも人気の日本メーカーや海外メーカーのGTカーが接戦を繰り広げるレースに3万人以上が熱狂しました。 GT1 Champion
GT2 Champion
2000年 開催サーキット第1戦 ツインリンクもてぎ 第2戦 富士スピードウェイ 第3戦 スポーツランドSUGO 特別戦 セパンサーキット 第4戦 富士スピードウェイ 第5戦 TIサーキット英田 第6戦 CP-MINEサーキット 第7戦 鈴鹿サーキット |
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2001 | JGTCからSUPER GTまで続く独自のレスキューシステムが始動 | |
競技車両の高速化に伴い、JGTCでもレスキュー体制が課題となり、JGTC開催レースとテストで走行中のコースにドクターが専用車で出動できる運用をこの年に試みました。これが翌年に救助や火災にも対応するFRO(ファースト・レスキュー・オペレーション)となり、現在まで続くSUPER GT独自のレスキューシステムとなっています。 GT1 Champion
GT2 Champion
2001年 開催サーキット第1戦 TIサーキット英田 第2戦 富士スピードウェイ 第3戦 スポーツランドSUGO 特別戦 セパンサーキット 第4戦 富士スピードウェイ 第5戦 ツインリンクもてぎ 第6戦 鈴鹿サーキット 第7戦 CP-MINEサーキット |
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2002 | 海外でシリーズ公式戦を初開催 | |
p class=”mb20″>マレーシア大会は特別戦として2年連続して開催したことで機が熟したとして、2002年はシリーズ公式戦の1戦となりました。これは日本のモータースポーツとして史上初の海外サーキットでの公式戦でした。
GT500 Champion
GT300 Champion
2002年 開催サーキット第1戦 TIサーキット英田 第2戦 富士スピードウェイ 第3戦 スポーツランドSUGO 第4戦 セパンサーキット 第5戦 富士スピードウェイ 第6戦 ツインリンクもてぎ 第7戦 CP-MINEサーキット 第8戦 鈴鹿サーキット |
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2003 | SARS禍も新たなレースフォーマットの試み | |
この年は東南アジアを中心にSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染拡大が起こり、第4戦マレーシア大会は開催できず、代替戦を富士スピードウェイで行いました。第5戦も富士開催だったため、第4戦の決勝はドライバーが1人で走る2レース制で行うなど、新たなフォーマットのレースとして実施されました。 GT500 Champion
GT300 Champion
2003年 開催サーキット第1戦 TIサーキット英田 第2戦 富士スピードウェイ 第3戦 スポーツランドSUGO 第4戦 富士スピードウェイ 第5戦 富士スピードウェイ 第6戦 ツインリンクもてぎ 第7戦 オートポリス 第8戦 鈴鹿サーキット |
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2004 | アメリカでエキシビションレースを開催 | |
海外レースの第2弾は、米国西海岸のカリフォルニア・スピードウェイでした。シーズン終了後の12月にGT500の10台、GT300の11台で渡米して、エキシビションレースを開催。もちろん、日本のモータースポーツがアメリカでレースを開催するのは初めてのことでした。 GT500 Champion
GT300 Champion
2004年 開催サーキット第1戦 TIサーキット英田 第2戦 スポーツランドSUGO 第3戦 セパンサーキット 第4戦 十勝スピードウェイ 第5戦 ツインリンクもてぎ 第6戦 オートポリス 第7戦 鈴鹿サーキット All Star カリフォルニアスピードウェイ |